200年の伝統が奏でる、本物の音・小野崎太鼓店~小野﨑志歩~
- 名前
- 小野崎志歩
- 会社名
- 有限会社小野﨑太鼓店
- キャッチコピー
- 職人の魂が宿る太鼓
- 一言
- 栃木県宇都宮市で創業200年。
希少な国産赤牛と樹齢200年の赤欅、300工程以上の手作業で、世界に一つの音を持つ太鼓を作り続けています。
伝統を未来へ紡ぐ4代目です。
200年の伝統技術が生み出す、本物の音を持つ太鼓
栃木県で創業200年、分家独立して110年
私たち小野﨑太鼓店は代々受け継がれてきた伝統技術で太鼓を作り続けています。
全国に10数件しか残っていない
完全自社製造の太鼓店として、
原木の買い付けから皮の製作、
太鼓の完成まで、
すべての工程を自分たちの手で行っています。
他にはない希少な素材へのこだわり
私たちが使う素材は、どれも厳選された最高級品です。
木材は、樹齢200年以上の国産赤欅を使用。
若い木の青欅ではなく、赤く美しい木肌を持つ赤欅だけを選んでいます。
太鼓の皮には、熊本県の一部地域でしか生産されていない国産赤牛の皮を使います。
一般的な黒毛和牛の皮は流通率が高く手に入れやすい一方、油が多く繊維質が荒いという特徴があります。
対して赤牛は流通率わずか0.36%。
繊維質がきめ細やかで油が少なく、
皮がよく伸びるため、
太鼓にした時に素晴らしい伸び縮みをしてくれます。
さらにオスよりメスの方が皮が繊細で良い音が出ること、
そして妊娠・出産を経験した牛の皮は、
生きている間にお腹や背中が大きく伸び縮みを経験しているため、太鼓の皮としてさらに優れた性質を持ちます。
流通率0.36%の赤牛のうち、
メスは半分の0.18%。
その中から出産経験のある牛を探し出して使う。
これが私たちの太鼓づくりの基本です。
妥協なき300工程以上の手作業
一つの太鼓が完成するまでに、
私たちは300工程以上の作業を行います。
他の太鼓店と比べると、3倍から4倍もの手間をかけています。
特に美しさの秘密は、
漆塗りの技法を使った「摺漆仕上げ」。
色を塗っては水に濡らした布巾で拭き取り、
また塗っては拭き取る。
この作業を何度も何度も繰り返すことで、
内側から光り輝くような透明感と立体感のある美しい胴が完成します。
最後の皮張りは、お客様の求める音に合わせて、お客様立ち会いのもとで行うこともあります。
熟練された職人の技術で、
世界に一つだけの音を作り上げます。
プロの演奏者が選ぶ品質
実際に私たちの太鼓を使ってくださっているのは、
プロの演奏者の方々です。
音質の良さ
見た目の美しさ
そして長く使える耐久性を評価していただいています。
また最近では、栃木県内の小学校や
中学校が創立記念に太鼓を導入したり、
保育園の子供たちの太鼓チームのために購入されるケースも増えています。
「小野﨑さんで作ってもらえてよかった」
「求めていたオンリーワンの太鼓ができました」。
そんな言葉をいただくたびに、
私たちの技術が次の世代へ確実に届いていることを
実感します。
職人の情熱と、製品を愛してくださる心
Amazonで調べれば、
安い太鼓はいくらでも見つかります。
大きなものでも2万円台、3万円台で買えてしまいます。
それでも私たちの太鼓を選んでくださるお客様は、
日本文化を大事にする気持ちを持ち、
本物の良いものを長く使いたいと
考えてくださる方々です。
そして何より、私たち職人のことを愛してくださいます。
製品の品質はもちろんですが、
妥協なく伝統技術を追い求める私たちの生き様そのものを、応援してくださっているのだと感じています。
伝統を未来へつなぐ使命
コロナ禍で多くの太鼓店が廃業しました。
全国に残る太鼓店は約100件。
その中で、原木の買い付けから皮づくり、
太鼓の製作までワンストップで完全自社製造を
行っている店は、10数件しかありません。
小野﨑太鼓店はその一つです。
「小野﨑さんがいてくれてよかった」
お客様からいただくこの言葉が、
私たちに「残り続けること」の大切さを
教えてくれています。
利益を出せず後継者も育てられずに廃業してしまう。
それが伝統産業の現実です。
だからこそ私たちは、この技術を絶やさないために、日々太鼓と向き合っています。
「親不孝者」と言われた私が、太鼓屋の4代目になるまで
私は3姉妹の長女として生まれました。
代々長男が継いできた小野﨑太鼓店に、
初めて男の子が生まれなかった代です。
物心ついた頃から「お前は親不孝者だ」と親戚に言われ、
6歳の時に祖母から「将来は女将さんになって、
太鼓職人になりたいお婿さんを連れてくるのが
お前の役目だよ」と告げられました。
必死で逃げた10代、20代
当時は祖母の言葉を素直に受け入れていました。
でも成長するにつれ、周りに太鼓屋なんて誰もいないこと、お婿さんなんて誰も考えていないことに気づきました。
なんだか周りとのギャップを感じて、
私はどんどん太鼓屋から逃げたくなったんです。
高校1年生の時、進路指導で介護を学びたいと伝えたら、
父に「太鼓屋の娘が大学行けるわけねえだろう」
「キリスト教の大学行けるわけないだろう」と
言われました。
その瞬間、ああ、私のやりたいことってできないんだと
気持ちが折れてしまって。
うつ病になり、ガリガリに痩せて、
夏場なのに真冬のダウンコートを着て
授業を受けていました。
治療の過程で、別人になりたいと思った私は
舞台の道へ進みます。
昼は高校、夜は池袋の舞台芸術学院で
歌と踊りとお芝居のお稽古。
そして劇団四季に合格しました。
やっと見つけた道。
でも合格通知の2週間後、信号無視の原付に跳ねられて
首と腰を怪我。
国内最大手の劇団から「合格も受験も取り消しにする」と
言われました。
その後も東京でモデルやMCの仕事をしながら、
必死に逃げ続けました。
30歳を過ぎた頃には、もう逃げ切ったと
思っていたんです。
2020年、父からの突然の告白
コロナ禍のある日、ほぼ疎遠だった父から
急に電話がかかってきました。
実家に帰ると、
「従業員にお給料を払えなくなりつつある。
太鼓店は俺の代で終わりかもしれない」と。
その瞬間、自分でもびっくりしました。
嫌で嫌でしょうがなかったはずの太鼓屋なのに、
なくなると言われたら全身で拒否反応が起きたんです。
ブワッと涙が出て、足元がふらつきました。
ああ、私が好き勝手やらせてもらえたのは、
嫌だと言っていた太鼓屋という軸がどっしり
在ってくれたからなんだ。
散々憎んでいた太鼓が、実は私のアイデンティティの
根幹だったんだと気づきました。
その場で泣きながら父に言いました。
「お給料いらないから、4代目として育ててください」と。
先祖の仕事を見た時の感動
継ぐことを決めてから、
古い太鼓の修復に立ち会う機会がありました。
太鼓の胴の内側には、歴代の職人が誰がいつ作り、
誰がいつ修理したかが記されています。
そこに、100年前に私たちの創業者が張り替えた
記録があったんです。
その隣に今、父が名前を書いている。
時代を超えたバトンの受け渡しを、
私は目の当たりにしました。
先祖たちから「しっかりやれよ」というエールを
もらっているような、そんな気持ちになりました。
これから実現したい未来
今、私には具体的な
「自分がどうなりたい」という想いはありません。
ただ、私が死んだ後も100年、200年先まで、
小野﨑太鼓店という技術を持った集団が、
そして太鼓という日本の文化そのものが残り続ける世の中にしたい。
そのために必要なのは、日本古来の伝統と
文化をほこれるための教育だと思っています。
今、父や職人たちと一緒に、
地元の小中学校で出前授業をしています。
子供たちが将来の夢を書く時、
「○○職人」と堂々と書いてくれるような世の中にしたい。
職人の社会的地位を上げて、誇れる存在にしたいんです。
伝統は一人の努力ではどうにもなりません。
皆さんと一緒に紡いでいけたら嬉しいです。
気軽に遊びに来てください
「太鼓屋さんって、敷居が高そう...」
そう思っていませんか?
実は多くの方が、太鼓屋さんを
身近に感じていないんです。
でも、小野﨑太鼓店は全然そんなことありません。
フラッと社会科見学のつもりで
太鼓を買いたい方だけでなく、
ちょっと興味があるという方も大歓迎です。
太鼓作りの様子を見学したり、
実際に工場を覗いてみたり。
「こんなところに太鼓屋さんがあったんだ!」と
驚いていただけたら嬉しいです。
父も私も、太鼓屋じゃなかったら
普通に人の輪の中にいるようなフレンドリーな人間です。
特別な技術を持った職人であることは確かですが、
その前に一人の等身大の人間なので、
小野﨑志歩という人間に会いに来るつもりで気軽にお越しください。
ワークショップで本物の太鼓作り体験も
本物の太鼓の皮を使った、
ミニ太鼓のストラップ作りワークショップも
やっています。
手塗りで塗装して、手で紐を編んで。
最年少で2歳の子も、お父さんお母さんに
手伝ってもらいながら作れました。
本物の太鼓にお気軽に触れていただける
きっかけになればと、母が始めたものです。
ご連絡はお気軽に
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日本人の方も、外国人の方も、
小さいお子さんから大人の方まで。
伝統は一人の努力ではどうにもならないものです。
皆さんと一緒に紡いでいけたら嬉しいです。
まずは、栃木県宇都宮市の小野﨑太鼓店へ。
お待ちしています。